Yの悲喜劇

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【BL漫画】チョコストロベリーバニラ(彩景でりこ) 長文感想

 商業BL漫画は本質的には萌え漫画だと思っているので、自分の中の評価基準の基本は「萌える」「萌えない」なのですが、「自分の萌えでは全くないけれどあまりにも完成度の高い作品」に出会うこともしばしばあります。

 「チョコストロベリーバニラ」は私の中で「自分の萌えツボではない事を除けば抜きんでて完璧な作品」です。

幼なじみのタケと“物”でも“人間”でも“好きなモノ”は何でも共有してきた拾(ひろい)。その拾の好意にずっと応えてきたタケ。拾に恋焦がれるあまりに、そんな二人を受け入れたミネ。絶妙なバランスで成り立っていた同級生三人の関係が、それぞれの想いの微妙な変化により、少しずつ崩れ始めていく――!?麗人誌上で大好評を博した甘美なトライアングルラブシリーズ6話+描き下ろし番外編を完全収録した著者初の麗人コミックス!!

 三角関係に始まって三角関係に終わる3Pモノ。広義の意味では3人婚・ポリアモリーだと思う。

 初読時の感想を見返したら「三角関係萌えとしては三者とも現状の関係に納得されると自分の萌えからずれる」と言っててちょっと笑った。昔の私ぶれてない。

 「自分の萌えツボを理解するのに最適な一冊」だと思って今回読み返した。

 改めて読んで思った。この作品は凄い。

 当たり前のモラルを取っ払った上に、この三人でしか築けない秩序が敷かれていて、しかもその秩序が最終的には色を変える。

 

 以下、長文感想です。ネタバレあり。

 

 

1.三角関係としてのチョコストロベリーバニラ

 起点の三角関係は以下の通りだった。

拾→恋人:ミネ、常にタケと恋人を共有する関係

タケ→拾から与えられるままにミネを共有する

ミネ→恋人:拾、拾の希望通りにタケに共有される

  拾を中心とした三角関係だった。拾が共有しなかったらタケとミネが再会することはまずなかったし、ましてやセックスすることは絶対なかっただろう。

 タケにとってミネは拾からいつものように与えられる拾の恋人でしかなかったし、ミネにとってタケは拾にくっついてきたオマケだ。

 拾にとってタケは家族よりも自分とともにいる存在=自分の一部で、拾を好きになるということはタケも含めて好きになる、ということなのだ。拾にとってタケは自分の一部だから、タケと恋人を共有するのは当たり前のことだ。

 拾は「タケも含めて自分を好きになってくれる人」を探していた。タケにとって拾から与えられるものはすべて拾のものであり、自分は拾の望むままに共有するだけでしかなかった。

 

 けれども、ミネが拾の望みを受け入れたことで三角関係の色は一変する。

 私は初読時、「三角関係は好きだけど現状維持だと萌えツボから外れる」と思った。再読して、当時の私は全くこの話をちゃんと読めていなかったんだと悟った。

 三角関係そのものは維持されるが、点をつなぐ線はまるっきり変わっている。

 拾は自分が望んでいた「タケも含めて自分を好きになってくれる人」に出会えたのに、望みが叶ったことで「自分よりもお互いを好きになったら」という嫉妬に襲われる。ミネが拾よりもタケとの方が身体の相性がよかったり、タケがミネにつけた噛み跡を羨んだり。

 タケは今までの拾の恋人とは違うミネに触れて、今までにはなかった支配欲をはじめとした情動に悩まされる。今までは拾が与えるのを享受し拾が喜ぶのがタケの喜びだったのに、「拾のもの」であるはずのミネに対して支配欲が生まれる。

 三角関係は、最終的に以下の形に落ち着く。

ミネ→拾:恋人、タケは拾の大事なものだと認識し、タケと拾を共有する

タケ→拾に与えられたミネを共有する(拾と半分こしている認識)

拾→ミネ:恋人、タケとミネを引き合わせたことを後悔しつつも2人とも大事だから関係をやめられない

  拾を主とした三角関係が、いつの間にかミネを中心とした三角関係にすり替わっている。拾に翻弄されるミネから始まった物語が、ミネが早々に腹をくくった結果、ミネに翻弄される拾とタケの物語になっている。

 

 「チョコストロベリーバニラ」が凄い作品だと思うのは、 個々の矢印だけ見ると歪で不揃いなのに、組み合わせると絶妙な均衡で三角関係が成り立っているところだ。

 絶対にありえないけれど、もしタケがミネを選ぶために拾を切った場合、ミネは拾が好きな以上、拾のいない状況でミネがタケに振り向くことはない。同様に、ミネが拾よりもタケの事を好きになった場合、タケはあっさりミネを切ると思う。かつて拾の恋人にしたように。

 そして拾のタケへの感情は恋愛ではないし、だからこそミネをタケと共有することがやめられない。

 1度でもどれか矢印の向きがずれたらあっさりと瓦解する関係が、奇跡的なバランスで成立している。

 

 私は「過程としての三角関係」は凄く萌えるけれど、それは最終的に2人の関係になることが前提で萌えるので、「チョコストロベリーバニラ」の「結果としての三角関係」は正直自分の萌えツボから外れる。

 けれども、「チョコストロベリーバニラ」が行きついたトライアングルは恐ろしく美しいものだとも思う。

 

2.各キャラについて

①タケ

  以前、「いとしの未来くん」の感想記事で、受のことを「エゴがない子」だと書いたけれど、タケも相当「エゴがなかった」子だと思う。

 特に自分から欲しいものはなかったけれど、拾の喜ぶ顔が見たくて、拾のプレゼントを享受していた。それだけでしかなく、タケ自身が特定のだれかを強く望むことはあんまりなかったのではないだろうか。

 同窓会のシーンで「お前ら片方に恋人ができたら必ず3人でやってんの?」って聞かれてたけど、恋人を共有する癖があるのは拾であってタケから持ち出したシーンが一切ないところを見るに、おそらくタケが自分から誰かを好きになったことなんてないんじゃないのか。

 ミネはタケにとって初めて拾のプレゼントで好きになったものだ。正確に言うと「拾のことが好きなミネ」をタケは好きになった。ミネに対する気持ちは支配欲も多分に含まれると思うけれど、それも含めて"好き"だと思う。

 タケは「拾のことが好きで自分には見向きもしない」ミネに対する支配欲に振り回される。それまでの拾の恋人には行っていなかった暴力・無理やりなプレイとかもエゴの発露だと思う。

 ずっと「拾のものだから」と無理やりなプレイをするのは避けてきたけれど、最終的に「半分は自分のものにしていい」と諭されたから自分本位なプレイをするようになった。

 タケは「決して全部が自分のものにならない」ミネを好きになったのであって、絶対あり得ないけどミネがタケに向くようになったらあっさりミネを切り捨てるだろうあたり、難儀なやっちゃなあと思う。

②拾

 「タケも含めて自分を好きになってくれる人」を探していたのに、見つかったら「自分よりも互いを好きになったらどうしよう」という嫉妬や不安にさいなまれる。

 タケは「エゴがない」子だったけど、拾は「わかっていなかった」子だと思う。タケと拾はどんなに長く一緒にいても結局は違う人間だから、恋人を共有することは恋人をタケに奪われる可能性があることなんてわかりきっているはずなのに、拾にはわからなかったんだと思う。

 あまりにも長く一緒にいすぎたから、タケのことを精神的双子のように思っていたんじゃないかな。

 拾はポリアモリー主義者のように見えて、最終的には一番三角関係の維持に不満そうに見える。自分から言い出したことでは……と思うけれど、今まで価値観をひたすら否定されてきたから、拾の主張をまるっと受け入れてくれる恋人が現れたらそれはそれでどうしたらいいかわからないんだと思う。

 拾の面白いところは、今の関係性を一番不満に思っているのに、ミネもタケも大事だからどちらも切り捨てられないところだ。ミネとタケは拾がいなかったら互いを切り捨てると思うけど、拾は片方がいなくなってももう片方を捨てることができない。

 自縄自縛だと思うけど、正直この3人の中では一番好きだ。自分でドツボにはまってる感じがいい。

③ミネ

 振り返ると、最初に拾の「俺のことが好きならタケのことも受け入れて」の主張を受け入れたところが変化ポイントで、それ以降のミネはほとんど変わっていない。

 拾が好きだから、拾の大事なものであるタケも受け入れる。

 拾が好きという気持ちが一貫しててブレがないから、三角関係を拾中心からミネ中心に塗り替えられたのだと思う。まあミネにその自覚は皆無だけど。

 ④その他のキャラについて

 その他といっても3人以外はほぼモブなんだけれど、女性キャラ=拾の昔の恋人が、拾の主張を退ける=当たり前のモラルを主張するキャラとして配置されてるのは面白いなあと再読して思った。

 どのキャラに共感しますか?って言われたら拾の学生時代の恋人だと思う……私も同じ場面に出くわしたらカバンぶん投げて逃げると思うので。

 

 

 同作者の「犬も喰わない」もお勧めです。あっちは「過程としての三角関係」のお話。連載中の「蟷螂の檻」も面白いけれど、正直ラストがどうなるのか予想つかない。

犬も喰わない (バンブーコミックス 麗人セレクション)

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蟷螂の檻(1) (onBLUE comics)

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