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【小説】火花(又吉直樹) 長文感想

 めちゃくちゃ話題になった作品は、話題になった瞬間読む場合と、風化しつつつある時に読む場合と2パターンがある。

 「火花」は後者だった。

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)

 

売れない芸人の徳永は、天才肌の先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。
神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。
笑いとは何か、人間とは何かを描ききったデビュー小説。
第一五三回芥川賞を受賞し、累計発行部数283万部を誇る傑作が待望の文庫化! 

 漫才師をはじめタレントが書いた小説というのは必要以上に酷評が飛び交ったりするが、この作品についてはあまり悪評を聞かなかったので、期待して読み始めた。

 期待以上に面白かった。

 以下、純文学に疎い読者なりの感想です。

 

(ネタバレ大有り)

 

 

 あらすじ通り、売れない凡人芸人・徳永と天才肌先輩芸人・神谷さんとの交流の話だが、2人でコンビを組んでいるわけではなく、それぞれ別に相方がいる。

 なぜコンビの相方の話ではなく仲のいい先輩・後輩の芸人の話になったのかは、「別の道を歩むことになる」話のテーマを書くためだと思う。

 

 神谷さんは天才肌の芸人であり、芸人の徳永が尊敬してやまない人物であり、先輩だ。神谷さんは先輩なので徳永を飲みに連れて行ったり、自宅に泊めたりと、非常によく面倒を見てくれる。

 ここで頭にとどめておかなきゃいけないのは、神谷さんは特に売れている芸人ではない。徳永は漫才番組に呼ばれて一瞬売れたが、神谷さんは作中通して全く売れていない。衣食住は同棲している連れの女性に任せている。

 神谷さんは全くもって売れていない。けれども後輩の徳永を可愛がり、相当な頻度で自宅に呼んでご飯を一緒にするし、飲みにも連れていく。すべて神谷さんのおごりだ。その金はどこから出るのか。ヒモになっている彼女の稼いだ金や、サラ金からだ。

 神谷さんはサラ金の借金で首が回らなくなり、最終的に自己破産まで追い込まれる。そこまでしてなんでお金を借りていたか。徳永はじめ後輩の面倒を見るためだ。なぜお金に困っているからと割り勘等にせず奢り続けたのか。後輩の面倒を見るのが先輩芸人としての仕事だからだ。

 外野から見たら神谷さんは真正のあほんだらだ。けど芸人をはじめ芸の世界ではまだ自力では食えない若造を自宅なり飯屋なりにつれて行って面倒を見ることが、当然の美徳とされている。売れた芸人が下積み時代に先輩に飲みに連れて行ったもらったエピソードは枚挙にいとまがない。

 外野からしたらあほんだらな事でも、芸人の世界であれば「当然の事」であり、外野からすると全く面白くない事でも、芸人視点では「面白い事」になる。

 「火花」は芸人側と外野側での世界の見え方の話だと思った。

 

 私は昔芸人さんのエピソードを片っ端から集めたことはありますが、現在はTV番組のバラエティで芸人さんを見る程度なので、ほぼ外野側の人間として読んだ。

 だから、私が「火花」で一番好きなのは徳永のコンビ=スパークスのラスト漫才のシーンだ。

 「火花」は基本的に芸人の世界に生きる芸人の話なので、外野としてはほぼ自分に関係がない話が続く。

 そうか芸人の世界は特別なんだな、と思いながら読んでいたところで、スパークスのラスト漫才だけは唯一「火花」の世界に問答無用で引きずり込まれる。

 

 スパークスのラスト漫才は、私が「火花」で一番好きなシーンだ。

「感傷に流されすぎて、思ってることを上手く伝えられへん事ってあるやん?」

「おう」

「だからな、あえてな反対のことを言うと宣言した上で、思っていることと逆のことを全力で言うと、明確に想いが伝わるんちゃうかなと思うねん」

 ここから漫才の様式に従って反対の言葉で、相方や観客への感謝、自分に才能がない悲しみをありったけ叫んでいく流れは圧巻で、読んでいるうちにただの読者であったはずが「スパークスのラスト漫才の観客」として否応なく漫才ライブに立ち会わされる。

 「火花」は徳永と神谷さんの話が中心なので、スパークスの話はほとんど出てこない。なのでスパークスに思い入れは全くない。

 全く思い入れがないはずなのに、徳永の心情が舞台の上から全力で浴びせられる漫才に、心ががんがん揺さぶられる。

 正直、推しのラスト舞台にこんな漫才されたらぼろぼろ泣きながら帰宅後ブログやnoteやらでお気持ち表明せざるを得ない。と思ってしまうシーンだ。

 

 芥川賞受賞作の中ではかなりわかりやすい方ではないかと思う(芥川賞受賞作をそれほど読んでるわけではないけれど)

 面白かったので「劇場」も読もうかしら。