Yの悲喜劇

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腐女子/商業BL/読書/漫画/アニメ

【BL漫画】エロ漫画家とアシくん(博士) 長文感想という名の妄想考察

 作者の別作品「ごめんしたって許さない」が面白かったので読みました。

  かわいい・ほのぼのという評判はわかる。確かにかわいいしほのぼのしてる。

 けれど、ちょっとこれは果たして「恋愛の話」なのかと思ったので、下に長文でつらつら書いてます。

 私の中ではこの作品はBLであると同時に、信仰の話だ。

 

(例によって全力でネタバレしてます)

 

 

 最初は無気力引きこもり攻め×一途健気受の話だと思ってた。あんまり明るくない攻めを一途受けが振り向かせていく話なのかなーと勝手に考えてた。

 

 けれど、第一話の時点ですでに受=文月くんの反応・行動に強い違和感があった。

 アシスタントなんていらないと思って文月くんをお断りしたい攻=先生の行動(歩幅を合わせない・ゴミ屋敷・果てはオナニーを文月に手伝わせる)に引かない、それどころかすべてポジティブに解釈する。

 先生のファンなのはわかる。けどリアルの先生と会うのは物語のスタート時点が初だ。それを踏まえると先生の言動に対してポジティブに受け止めすぎている。ゴミ屋敷に対して「掃除洗濯の時間も執筆に充ててるのはストイック」……そんな解釈ありか……?

 

 先生のオナニーを手伝わせるシーンに至っては、言い出した先生がひいてる。

 文月くんが性にだらしないビッチ受系ならああそういう受けなのねと納得できる。けれど文月くんは一貫して純情な一途健気受として描かれている。

 作者の前作「ごめんしたって許さない」は純情で性に対するバリアが異常に低い受だったけど、あれは「田舎の純朴青年だったのが都会の雰囲気にのまれて黒ギャル堕ちした受と、受が田舎の純朴青年時代の時から好きだった攻」のCPの話だったからなるほど面白いなと思った。けど、文月くんは性にだらしない描写は一切なく、最初から最後まで先生一筋だ。

 

 攻は最初にオナニーを受に手伝わせたところを除けば*1一貫して読者=私の常識から外れない行動をしている分、受の言動がしばしば常軌を逸している。

 先生が文月くんを好きになったのはよくわかる。人間関係の狭い漫画家が、自分を一途に慕ってくれるかわいく甲斐甲斐しい子がそばにいたらそりゃ好きになると思う。

 文月くんの本心が読めない。早い段階でくっついて結構いちゃいちゃするのだが、正直文月くんが何者かわからなくて怖かった(と言いつつ風呂場Hシーンはいちゃいちゃ度が高まりすぎてて大変よかったですが)

 

 文月くんの過去が語られる5話で、今までの違和感に対する答えがあった。

 文月くんは子どもの頃に少女漫画家時代の先生の漫画を読んで先生の作品を好きになり、長年追いかけ続けた結果先生が現在エロ漫画家として執筆を続けていることを見つけ、先生のアシスタントを志願した。

 なるほど王道の「実は幼少期に出会った相手との再会系BL」……ではない。

 柔らかなタッチで描かれているから文月くんは一途だなあと一瞬勘違いしたけれど、文月くんは先生の作品に出会っただけで先生とは物語の冒頭が初対面だ。物語開始前にリアルで会ってない以上、再会系BLではありえない。

 

 つまり文月くんは、先生の作品に対するファン感情と、先生本人への敬愛をイコールで結びつけてしまっていたのだ。

 

 作品が素晴らしいから作者も素晴らしいだろう、と作品への好感を作家への好感につなげてしまうことはままある。

 インターネットゲームでの強プレイヤーに対して、ゲームの強さ=恋愛感情につながってリアルで出会って恋に落ちる話は、二次元でも三次元でもあふれかえっている。それと同じ話だ。

 だから文月くんが先生を好きになった経緯も、(少女漫画雑誌に先生の作品について問い合わせするのはクレーマーだと思うが)そこまでおかしい話ではないのかもしれない。

 しかし、文月くん→先生への感情が、出会う前も出会った後も変化がないのは、BLとして特殊だと思う。

先生は、俺の神様です。

 裏表紙のキャッチコピー通り、文月くんにとって先生は徹頭徹尾漫画を描く神様であり、他の何者でもないのだ。

 

 「エロ漫画家とアシくん」のすごいなと思うところは、文月くんのキャラクターが最初から最後まで一貫していて、先生との違いをはっきり描いているところだと思う。

 

 ルサンチマンでエロ漫画を描いていた先生が、文月くんに出会って恋をしたことによって後半漫画が描けなくなる。

 先生は仕事で描いている漫画よりも愛している文月くんを優先するが、自分に出会って漫画を描けなくなった先生を知って文月くんは先生の元から去る。文月くんにとって先生との恋人関係よりも先生の描く漫画の方が大事だからだ。

そうだよ 文月くんが俺の心も身体も満たしたから

満たされない気持ちだけでなんとか動いてる人間を 満たしちゃ動けなくなるよ

でもそれって何が悪いんだろう 俺はむしろ幸せになれたよ

漫画なんかより君のが大事だよ

  自分の元から去った文月くんを迎えに行った先生の台詞。愛の告白としていい言葉だなと思うのと同時に、文月くんには全く響かない言葉だというのもよくわかる。

 文月くんは「俺は先生の心配しかしてません」と断る。文月くんにとって先生は「漫画を描く神様」であり、「自分のことを好いてくれる恋人」としての先生は不要だからだ。

 

 「エロ漫画家とアシくん」はBL雑誌から出た商業BL漫画だからBLですよ、とは思うが、一方でこれは信仰の話だ。文月くんの対先生の敬愛は恋愛よりも宗教としての崇拝の方が合っている。

 神様とHするのか、と言われそうだけど、文月くんにとって先生は漫画を描いてくれる以上、あとは先生が何をしても、先生は神様なのだ。そこに一分の揺るぎもない。

 文月くんの先生への気持ちが急激に恋愛に変わったら微妙だな、と思っていたら最終的に先生が折れる(=漫画を描き続ける)形でハッピーエンドになった。ちょうどいい落としどころだと思う。

 ……同作者の次作「生贄のお勤めは、」は神様×人間のBLだけど、正直「エロ漫画家とアシくん」の方が神様と信仰の話だと思う。

 

 

 一人の作家を神様と見てしまった信仰の話、と感想を書いていて、「私が大好きな小説家を殺すまで」(斜線堂有紀)*2がパッと頭に思い浮かんだ。ノリも展開も全く違うけど、あの話も面白かったな。

 一人の人間を神様視する話がぽつぽつと色々な媒体で様々な作家さんが描くようになったのは、時代の流れだなと思います。

*1:その行動もアシスタントを断らせるための行動であるため、行動の是非はともかく「普通にやったら相手にひかれる行為」だと理解はしている

*2:メディアワークス文庫出版。非BL