Yの悲喜劇

Yの悲喜劇

腐女子/商業BL/読書/漫画/アニメ

【小説】ドルリー・レーン4部作を読んだ

 エラリィ・クイーンのドルリー・レーン4部作*1を読みました。角川文庫・越前敏弥訳版。エラリィ・クイーン初読です。 

Xの悲劇 (角川文庫)

Xの悲劇 (角川文庫)

 

  このブログ名「Yの悲喜劇」は「Yの悲劇」がパロディー元になっているのですが、ブログ作る時に読んでいたのでもじらせていただきました。

 X~Zの悲劇3部作は知っていたのですが、「レーン最後の事件」を加えて4部作だということはYの悲劇を読んだ後初めて知りました。……これは、4部作通して読んで初めて評価される物語では。

 個々のロジックの精密さはなるほど現代の新本格・21世紀邦ミスはここに影響を受けているのだなと納得しつつ、以下4部作を通して読んだ感想です。

 

 全力でネタバレしてます。未読の方はブラウザバックをお願いします。

 

 

 

 

 「レーン最後の事件」の初版が1933年と思うと、この当時に「真犯人がシリーズの探偵」というのは間違いなく衝撃だと思う。令和の今読んだ時の私の驚きは、たぶん当時の読者には及ばない。

 「レーン最後の事件」がすごいのは、「真犯人がシリーズの探偵」という意外性よりも、「探偵が犯人であった真実に納得させられる過程をシリーズを通して描いてきたこと」だと思う。

 

 推理小説における探偵の仕事は事件の謎を解くことであり、人の命を助けることではない。

 頭では理解していても、人間の命に興味がなく謎解きをもったいぶる探偵よりも、事件を早々に解き明かして連続殺人を阻止する探偵の方が心情的に信頼できるのも私の中では歴然とした事実です。

 

 振り返ると、ドルリー・レーンはまったくもって信頼のできない名探偵でした。

 「Xの悲劇」ではその慧眼から早々に真犯人を見抜きながら「今はまだその時ではない」と黙秘した結果、連続殺人が完遂される。真相言ってたら第3の殺人は防げたと思うんですが。

 「Yの悲劇」にいたっては、犯人が更生不能と判断し、遠隔的に犯人を殺害。

 名俳優であったことからあらゆる他人に扮装して情報を集める様も、アルセーヌ・ルパンのオマージュなのねとスルーしてきたけれど、そもそもアルセーヌ・ルパンも法律に照らし合わせれば犯罪者の範疇に入る。

 ドルリー・レーンは人間の心理を理解しながら、それらや法律、当時のモラルよりも自分なりの美学を優先する探偵でした。

 

 ドルリー・レーンは「レーン最後の事件」にてシェイクスピアの手紙を消し去ろうとした人物を殺害し、最終的にワトソン役であったサム元警視に手紙を遺して自殺します。

親愛なる警視さん、わたしは老いて疲れ果て、どうやらもはや……まもなく退場ののときを迎え、長い休息へと旅立つでしょう。(中略)退場は見送る者もなく、人知れずおこなわれるので、おのれに向けて輝かしい告別の辞を口ずさむのをどうかお許しください。

 なぜレーンは自殺したのか。

 人を殺した自責の念に駆られて? ……それが理由ならば「Yの悲劇」の時点で自殺しています。レーンは初犯ではありません。

 手紙に記載の通り、老いさらばえ果てる前に自らの人生に幕引きをしたのか。

 レーンは主観的に自分は老いたと思ったのかもしれませんが、私がシリーズを通して読んできた中では、レーン単体では言うほど老いて衰えたようには見えません。作中時間で前作から10年経過した「Zの悲劇」でも一番クリティカルな場面で推理ショーを繰り広げている手腕はとても衰えたとは思えません。

 では何をもってレーンは「老いて疲れ果てて退場のときだ」と思ったのか。

 レーンよりも若く聡明な探偵、ペイシェンス・サムが登場したからです。

 

 「Zの悲劇」は、振り返るとサム警視の娘で新たな探偵役、ペイシェンス・サムが登場した以外の価値はシリーズの中にはあまり見出せません。「Zの悲劇」もそれ単体で面白いですが。

 けれども、ペイシェンス・サムの登場それ自体がシリーズ最大の転換期です。

 

 ヴァンダインの二十則に以下の規律があります。

探偵役は一人が望ましい。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。それはまるで読者をリレーチームと競争させるようなものである。

 海外の古典ミステリには疎いのでこれ以降は私の妄想が多分に含まれますが、出版された1933年当時、推理小説に多重解決ものという概念はあっても、1つのシリーズに探偵役が複数存在することが許される土壌はできていなかったのではないでしょうか。

 元よりレーンの自殺という完結に導くために出てきたキャラクターなのか、それとも登場させてからレーン自殺のシナリオを作り上げたのかはわからないですが、ペイシェンス・サムという新しい探偵がいなかったら、レーンは死ななかったのではないかと思います。

 

 「レーン最後の事件」の終盤にて、ペイシェンスは露骨に取り乱します。

 事件の真相を見抜いたからですが、人の心理を見抜くことに長けたレーンが、ペイシェンスの様子を見て、彼女が真実を理解したことに気付かなかったとは思えません。

 レーンは、自分の犯罪を解き明かした人間(ペイシェンス)の存在=自分と同列かそれを超える探偵役を認めたから自殺したのではないかと思います。

 言い換えると、探偵役は推理小説の舞台に2人も不要なので、レーン=老いた探偵役は自ら退場したのです。

 

 (まあこの仮説だと、Yの悲劇で犯人を遠隔的に殺害したことをブルーノ検事に見抜かれてるのに、レーンが特に何もしなかったことの説明ができないんですけどね)

 

 エラリィ・クイーンは当時、「バーナビー・ロス」名義でドルリー・レーン4部作を出版し、さらに2人組のコンビ作家であったことを利用してエラリィ・クイーン&バーナビー・ロスの対談まで行ったそうです。

 ……こんな面白そうな話はリアルタイムで見たかった……。

*1:Xの悲劇・Yの悲劇・Zの悲劇・レーン最後の事件