Yの悲喜劇

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腐女子/商業BL/読書/漫画/アニメ

【商業BL】よろめき番長(依田沙江美) コミュニケーション能力の低さが「不思議ちゃん受」と称されていた時代の話

  私が商業BLを一番熱心に読んでいたのは2006年~2011年くらいで、要は10年以上前のことなのですが、それくらい昔の漫画を令和の今再読すると「流石に今読むと絵柄抜きにしても感覚が古いな」と思うこともある反面、「10年前に出たとは思えない」と驚くこともしばしばあります。

 「よろめき番長」は私の蔵書の中でも、10年前に出たとは思えない本です。

よろめき番長 (花音コミックス)

よろめき番長 (花音コミックス)

 

 日本茶専門店で働く若葉は、人間関係が大の苦手。 30年間できることなら人と関わらずに生きてゆきたいと願っていた。 そんなひきこもり思考の若葉に一目惚れをしたのは、社交的な年下男子・吉川。「俺と付き合って下さい」と突然の告白を受け、経験の浅い若葉の頭はパンク寸前…!?難攻不落な若葉に、吉川の愛が入り込む余地はあるのか!?

 Amazonだと発売日が2014年10月になってますが、実際は2009年花音連載・2010年初版です。同時期に発売されたBL漫画は「鮫島君と笹原君」(腰乃)、「キャッスルマンゴー」2巻(小椋ムク/木原音瀬)、「純愛えろ期」(彩景でり子)など。

 10年前に出たとは思えない、とは言いましたが正直パッと見た画面は2010年基準にしても古く*1話は当時の花音らしいH薄め。

 何を指して10年前に出たとは思えないのかというと、受のわかぺー(若葉真平)の人物造形です。

 

 

1.わかぺーが「不思議ちゃん受」と称されていた時代

難攻不落な不思議ちゃんに恋をした

 発売当時の帯のキャッチコピー。

 「よろめき番長」は7割くらい攻の吉川視点で語られる(わかぺーのモノローグも3割くらい入る)ので、誰ともすんなりコミュニケーションの取れる吉川視点からすると確かにわかぺーの行動は不思議以外の何物でもないと思う。

○わかぺーの不思議な行動(吉川視点)

 ・店員に顔を覚えられた店には二度と行きたくない → 顔を覚えられてたら便利じゃない?

 ・苦手な和菓子を毎回断れずに食べている → 断れよ

  ・口説いたら別れた・浮気された時の心配をされる → まだ始まってもいませんが!?

 →以下は吉川視点の突っ込み。他にも人の話を途中から聞いてない・強引に他者に押し切られて事前の約束を反故にしてしまう、といった問題行動もある。

 「よろめき番長」は不慮の事故をきっかけにわかぺーと知り合った吉川がわかぺーの理解に励み、口説き落とす話だ。わかぺーを口説きたい→わかぺーと自分の思考回路が違い過ぎて四苦八苦、という展開は確かに「難攻不落」だと思う。

 けれど、吉川ではなく読者の私にとって、わかぺーの行動は「理解できる」のだ。極端だと思うけど、コミュニケーションがうまくできない人の行動としてとても分かるのだ。

○わかぺーの行動(読者の私視点)

 ・店員に顔を覚えられた店には二度と行きたくない → 顔を覚えられた店は正直落ち着かないから行きたくない

 ・苦手な和菓子を毎回断れずに食べている → 断った時の気まずさを考えて断れない

  ・口説いたら別れた・浮気された時の心配をされる → 幸せな瞬間でも不安が頭を離れない

 →以下は私視点の共感です。書いててつらくなってきた……。

 他にも人の話を途中から聞かない(ふと考え事をしだすと1対1でも相手の話が右から左に流れていく)のもわかるし、人と約束をしている日に別の人から何か持ちかけられたら断……りはするけど断る行為が正直自分にとって負荷だったりする。

 終盤で吉川も気づくが、わかぺーの行動は、わかぺーの中で一貫した規定があり、それに基づいたものだ。

○わかぺーの行動規定(ある程度私の推測を含む)

 ・弱っている人=自分が優位に立てる人にはかいがいしくなる

 ・強く主張してくる人=自分が劣位に立ってしまう人のことは断れない、押し切られる

 ・他人にとって(ひいては)ネガティブになる行動は先読みして避ける

 整理してみると不思議でもなんでもない。自分に強く主張してくる人に対して強く出れる人は正直少ないと思う。ただわかぺーにとって自分が優位に立てる人が極端に少ないので、常に劣位に立った状態での行動をしているだけである。

 わかぺーは弱い。それはコミュニケーション能力が極端に低いだからだ。極端すぎて、コミュニケーション能力が高い吉川には不思議ちゃんに見えるだけなのだ。

 連載していた2009年当時はTwitterが現在ほど普及しておらず、まだこういったコミュニケーションが苦手な人の存在は広く理解されていなかったと思う。

 「コミュ障」という言葉もその頃はまだ場末のネットスラングだった。だから当時の商業BL界にとってわかぺーは「不思議ちゃん受」だった。

 けれどTwitterをはじめとしたSNSが普及し、コミュ障や発達障害など、私を含む決して少なくない社交的ではない人たちが抱える色々な問題に触れることも多くなった。

 もし令和の今「よろめき番長」が出版されていたら、わかぺーは「不思議ちゃん受」とは称されていなかったのではないか……と思う。そもそも令和にこの作品が描かれていたら全然違う話になっていた気もするけど……。

○わかぺー=小市民的な人

 もう一つ書き加えると、わかぺーは弱い人であっても特別心優しい人ではない。むしろ根底には小市民的な冷たさがある人だと思う。

 冒頭で吉川の事故を目撃するシーンだ。自転車に乗っていた吉川が掃除をしていたわかぺーを避けて派手に転倒するところから物語は始まる。始まるが、これを目撃したわかぺーのモノローグがすごい。

もうだめだ 俺の人生は終わった

(中略)

やめてくれ 血もワタもみたくない 遺族に泣いて謝りながら対面なんてありえないし 取り調べに自分が耐えられるわけないし

 転倒した吉川のことを全く心配していない。自分が事故の原因と思い込み自分の今後の心配しかしていない。この後吉川に大事がないとわかった後のモノローグも強烈で、気持ちはわかるが冷たいなお前……!

 ただ、わかぺーが極端に冷たい人だとは思わない。私も同じ目にあったら赤の他人よりも自分の身を案じてしまう気がする。

 後半で吉川が車に轢かれた際は、わかぺーは過剰なほど吉川を心配している。吉川が赤の他人ではなくわかぺーにとって大切な身内になったことの表れだと思う。

 

2.わかぺーを取り巻く男たちについて

 1巻完結の作品なので、主な登場人物は受のわかぺー・攻の吉川・わかぺーの友人で当て馬ポジションの鳴海の3人だけ。一応和菓子屋の息子とかお店の常連客のおばちゃんとかちょこちょこモブはいるけど……。

 吉川・鳴海はどちらもわかぺーとは全く違うタイプなので、二人についてもちょっと触れます。

○鳴海(当て馬ポジション)

 BL的にカテゴライズすると強引なオレ様型。わかぺーとのやり取りも基本的に鳴海が半ば強引に推し進めている。

 長年の付き合いを経て理解したうえで、わかぺーを自分のペースに巻き込んで進めるタイプなので、わかぺーに共感できるけど鳴海の強引に決めたがる側面もわかる人間としては言動の端々にウッとなる。ペースの全く違う人間に合わせるのが苦痛なのはわかる……。

 強引な攻めはいろいろなBLにいるけど、鳴海がわかぺーにとってメイン攻めになれなかったのは、鳴海が自分の強さを理解してなくて、同時にわかぺーが極端に弱い人だからだと思う。多少の弱さなら鳴海の強さを見て自分を変えられるけど、わかぺーくらい極端に弱いとそもそも変わることがないと思う。

 ただ、メイン攻にはなれなくてもわかぺーと長年友好関係を続けられた理由はよくわかる。わかぺーみたいに人間関係の維持に消極的なタイプは自分から積極的に予定を組んでいかないと自然消滅するもんな……。

○吉川(攻め)

 あらすじ通りの社交的社交的年下攻め。

 自分と全く違うわかぺーを相手に手さぐりに攻めていき、途中で強引になりつつ、最後にわかぺーの弱さを理解して寄り添う・介助するスタンスに落ち着くところを見ると、なるほど社交的とはこういう人のことを指すのだなと思う。

 友達が多い人はどういう人だろうと思うけれど、吉川の姿を見ると、全く自分と違う人間に対して、その違いを理解しようと努めることができる人なのかなと思う。

どんな世界に住んでるんだろう この人は

ゆっくり理解していけばいい

 わかぺーを自分のペースに巻き込む鳴海との決定的な違いはここだと思った。

 

 

 依田沙江美作品ではこの作品が一番好きなのでぽちぽち語りました。

 依田沙江美はストーリーがドラマチックとか絵がきれいとかそういうわけではないんだけど、根幹がリアリズムの人でちまちまとした面白さがあるよなあと思っています。

 

 この記事書いていて他にもコミュニケーション能力が低くて悩む人のBLなにかあったかなと思い返してみました。

 パッと思い浮かんだのは「新庄くんと笹原くん」や「俺は頼り方がわかりません」といった腰乃作品なんだけれど、腰乃作品のコミュニケーション能力の低い人たちは全く持って不思議ちゃん扱いされないな……アッパー系だからだろうか。

*1:依田沙江美は1994年デビュー